これはいうまでもなくレイ・ブラッドベリの圧倒的傑作で、文句なく代表作でもある。しかも、とりあえず“SF”にカテゴライズされているその分野においても、どう考えても必読の名作でもある。そしてこれは、どうしようもないほど完璧な文学作品だ。
火星に移住を始めた人類という近未来の設定は、読み進めていくうちにそれはあくまでメタファーにすぎず、人間のナルシズムを悲しいほど徹底的に描ききった詩情あふれる物語であることに気がつくだろう。未来への希求が絶望を誘発するという、これまで幾度となく人間が繰り返してきたその情けない歴史を、未来というフォーマットと詳細な人物描写で火星上に展開する。
描かれているのは、しかし、誠意なのである。これがまたとてつもなく、悲しい。誰もがまやかしのない誠意を持ち、そして正義を持参して火星にいる。だが、対象化されていない誠意は疑うことのない正義と同様に、創造よりも破壊を導き、融和よりも敵対を生み出す。それが、驚くべき着想豊かで魅力たっぷりなストーリーで描かれるのだから、たまらない。
そして、見逃せないのが翻訳。詩情極まる日本語が、物語の美しさを果てしなく高めている。
めまいがするほど豊穣な言葉を、心地よいリズムとともに果てしなく堪能出来る、奇跡的傑作と呼ぶほかない書物。 何度再読しても、読んでしまうのが惜しくなる1冊である。
平田憲彦(2002.2.4)