全世界で最大規模のシェアを持つ<ウィンドウズ>という製品を開発しているマイクロソフト社が作った、<ウィンドウズ>の兄弟製品のような<ウインドウズ CE(シーイー)>というものがあり、それは<ウィンドウズ>そのものとは少し異なる別の製品である。
簡単に言えば、手のひらに載るかのような小型コンピュータ、そのマシンを動かすための基本ソフト(OS)である。情報を携帯する小さなコンピュータのことと考えてよかろうと思う。
その製品<ウインドウズ CE>が、どのようにして誕生し、開発されていったかを、マイクロソフト社の開発担当者が顔写真付きで次々と登場しコメントしていく、というものだ。早い話、内輪本である。
現在は情報を携帯する端末という市場が確立しているが、この書物に描かれているのは、そのずっと前、まだ市場らしい市場がなかった頃の、新しい商品の開発物語である。マイクロソフト社が世間でどのように言われていようと、ここに登場する多くの開発者たちの視線は、あくまでも透明で、そして無邪気である。マイクロソフト社の中心的商品<ウィンドウズ>に隠れ、陽のあたることの少ない開発商品である<ウィンドウズCE>に情熱を注ぎ、あるときは自信たっぷりに、またあるときは尊大で、また別の場面では謙虚に、そんなさまざまな感情が幾度も行き交って、そして商品は市場に出ていく。
しかし、この書物が特異なのは、この商品<ウィンドウズCE>がリリースされた時点、そしてこの書物が発行された時点にあっても、商品に対する厳しい評価とがっかりするような売れ行きという現実があったにもかかわらず、開発者たちの目線はあくまでも上を向き、仲間とともに生み出した商品にたいして揺るぎなく持っている確固たる自信が生々しく露呈しているということに他ならない。
だが、そんな例は他にもいっぱいある。読売ジャイアンツは勝たねばならない、アメリカは強くなければならない、マイクロソフト社はコンピュータと人々の未来を快適にしなければならない…。誰が決めたわけではないそんな強迫観念じみた妄想に近い強すぎる意志が、この書物には控えめにけばけばしく露呈している。ここには、あれらもない我々が映し出されているのである。
自信を持つ、誇りに思う、という心的現象は、そこに関わった商品が成功するということが必要条件なのではなく、あくまでも、関わった人間の意志にしか存しないという、どこまでもリアルで露骨な魂を体験できる、これはそんな書物なのである。
平田憲彦(2002.2.12)